日別アーカイブ: 2025年10月4日

銀座スタッフ“インド布愛”紀行 2

ジャイプルの栄光−−マハーラージャの遺産

9月18日コルカタを離れジャイプルへ。ジャイプル藩王国の藩王(マハーラージャ=マハラジャ)はインドがイギリスの植民地化したイギリス領インド帝国時代にも、イギリスに対し税を納めるなどする代わりにある程度の自治が保障されていた、ということで、インド的(ヒンドウ的)なものが色濃く残っている、のだそうです。

ジャイプルの旧市街は“ピンクシテイ”と呼ばれるように町中がローズピンクに塗られたおっとりした趣です。

1876年ィクトリア女王の息アルバート王子の訪問を歓迎して街をピンクに染めたのが今現在の街の景観を形作っています。

ジャイプル藩王はヒンドウ教を信奉し、ムガール帝国の直轄領を経て植民地となったイスラムの都市と比べて古いインドを残しているようです。

王族一家は1947年のインド独立後も旧市街の「シテイ・パレス」にお住まい、博物館も併設し公開されています→インスタご覧ください。

アグラでタージ・マハルを堪能しましたが、これはムガール帝国時代のイスラムの遺産。

ヒンドウー教とイスラム教、この二つの宗教は現代のインドの政治、経済、暮らしに大きな影を投げているようです。

ヒンドウー教は紀元前300年頃にはカースト制度とともにインド社会に存在したようです。そのカーストに生まれた現世を生きることによって輪廻からの解放を求めるその教えは深く深くインド社会に浸透していったようです。

イスラム教は8世紀にはインドに入り、13世紀初頭からムガール帝国時代に全インドに広がり、ヒンドウーとの融和と対立を繰り返し、イギリス支配に対する反英闘争にも様々に関与、最終的には1947年のイギリスからインド連邦とパキスタン・イスラム共和国に分かれて独立し、その後もカシミール地方の帰属をめぐり現在も紛争中であることは度々報じられています。

インド国内のヒンドウーは約80%、イスラムは15%。インドには「少子高齢化」は存在しないようですが、今後人口構成がどうなるか、カースト制度との関係もあり、予断は許せない状況と思われます。