日別アーカイブ: 2017年11月21日

「インド布の旅レポート」 その6

サリー織りの屋敷インドの誇り高いマハラジャのサリーは、その気品を秘めた美しさで、見る者の心をいにしえへと誘います。
ガンガーへと向かう女性たちのその姿は日本女性の着物姿と重なりました。

旅のエンディングは、デリーで出逢った、サリーを織る青年の生家に向かいました。
彼は通年のうち、半分以上デリーに来て、自分たちの織ったサリーを販売しています。
バナラシーから、車で1時間ほど離れたその場所は、広々としたのどかな平野。
大地と緑の中、農作業をするする女性達のサリー姿が風になびく風景は、時を忘れ、胸を打つ美しさです。
中庭を囲む屋敷の中から、穏やかな機織りの音が聞こえてきます。
沢山のジャガードパターンの1枚1枚が順番を待って、クルリと降りてきます。
ボビンに巻き取られた彩りが、丁寧に1本ずつ織り込まれ、美しいサリーが誕生します。
この家では、図柄を生むヨコ糸を1色ずつ織り込む作業を、2人がかりで行っていました。
少ない人手で、良いものをできるだけ多く作り出す工夫でしょう。
糸を巻き取るのも皆、男性の仕事です。
「しなやかなサリーの絹糸を作るお蚕さんは、昔は小さな繭だった」と昔のサリーを扱った方が、話してくれました。
日本の着物と同じだなぁと、インドを益々身近に感じ、サリーを纏う女性達が愛おしくなりました。
インドからのサリーが、日本まで来て、着物や帯として大切に着用されていく。
まるで、女性達の布に宿る愛情が、海を越えてやってきたようです。

ジャガード機で2人1組になりベナレスサリーを織る ザリ糸と銀糸を1本に織り込む

ガンガーに向かうサリーの女性 ガンガーに向かうサリーの女性

「インド布の旅レポート」 その5

ガンガーに注ぐ朝日
ガンガーに注ぐ朝日です。
混沌の1日の中のつかの間、神の使者として使わされてきているような光です。
気がつけば、この時間だけはあの喧騒が遠くなります。

さて、人の波、牛の糞、押し寄せるリキシャーをかき分けて向かった、とある工房。といっても我々からみれば大きなお屋敷。
そこの主人の風貌、話し方、生活ぶりに出会った途端、わたしの中で、突然インドがわかってしまいました。
そしてゆるりと出してくれた1枚のサリーに恋してしまいました。

ムガールが終わり、イギリスが入るまでのマハラジャたちの世界、そこから連綿と受け継がれてきた伝統。

色糸を見せる5代目主人
日本と全く違う異文化のなかで、トップ階級のためだけに、100年も最上の物を作り続けてきたその歴史が放つオーラを持っているのです。

はっきり言うと、何か病的なまでの凄さを感じてしまいました。
今まで、インドの更紗や織物を絶賛して、美術館でみたり仕事にもしてきましたが、何かその裏付けが取れたような時間でした。

話しはそれますが、15年ほど前、ウズベキスタンに行った折り、日本でいう古民家なるお宅に伺いました。
そこの主人は伝統衣装の収集家で、ムガール朝から続くというイスラム建築に普通に暮らしていて、100枚もある衣裳を惜しげもなく着ろ着ろと、着て踊れと。

奥さんと2人で踊りまくりましたけど、そんな時、言葉は通じなくても、それがどんなに好きなのかで、少々の自慢も込めて素晴らしい一体感が湧くのですね。
その時も、そのご夫婦の背後にある色々な重みをドッと感じて、伝統衣裳の持つ素晴らしさを実感したものでした。